"でんじゃらすじーさん 3巻 作文を書くのじゃっ!"の読書感想文

    私のこの本との出会いは、まだ私が幼い頃に明確な理由はないが立ち寄った街外れの小さな書店でした。私はその書店で表紙に惹かれ、この本の購入を決めました。

    この物語は、主人公のじーさんが自らの野望を全世界へ発信する場面から始まります。その後場面が変わり、新たな登場人物である孫が作文を書いている場面へと移ります。しかしこの孫の行動は、じーさんへ恐怖心を芽生えさせるきっかけとなってしまいます。まさかこんなことになるとは孫も到底思わなかったことでしょう。じーさんは孫が自分を殺すための挑戦状を書いているという誤想へと至ってしまうのです。このままこの物語は平行線を辿るようにも思えてなりませんでした。しかし、ついに孫が「将来の夢」に関する作文を書いていることを告白するに至ります。これにより両者の誤解はすっかり解けることとなりました。そして、両者は本作品の要でもある「将来の夢」について共に語り合います。その後じーさんが孫の作文を代筆をすると言い出します。これには私も怒り心頭に発しました。なぜなら、通常宿題として提示された作文は本来提示された本人が遂行すべきです。それが本人の為になり、文章力や読解力を育てる糧となるのです。しかし、じーさんはその機会をあまりにも残酷に奪い去ったかのように見えました。しかし、この後物語は急展開を迎えることとなります。じーさんが作文用紙に書いていた本当の物は作文などではなく、単なる落書きにしか過ぎなかったのです。こうして孫はじーさんの本当に守りたかったものに気が付き、物語は幕を閉じます。

今まで私には祖父という存在に向き合う機会はありませんでした。しかし、この本を読むと今までの自分が如何に何も考えていなかったかを思い知らされました。祖父という存在は、影からでありながらも、しっかりと孫を支えている存在なのです。このことは物語の冒頭部分で強く示唆されています。じーさんが誤想へ至っている場面では、文章と絵により重苦しい空気感や心の閉塞感が表現されています。そして両者の誤解が解ける場面では今までとは対照的に幸福感が際限なく表現されています。私には一体じーさんがどれ程までに孫のことを思ってきたのか見当も付きません。最後の場面で登場するらくがきはじーさんが最後に孫に伝えたかった"愛"だったのでしょう。私は作者がこの作品を通じて伝えたかったことはこのことだったのではないかと思いました。

しかし、私にはこの物語に対して一つ気掛かりな点が存在しました。それは、冒頭のじーさんが自らの野望を発信する場面です。私はじーさんがこのような行動をとった理由について深く思考を巡らせ、そして一つの結論へとたどり着きました。作者は小学生か中学生である読者が孫の視点で、更にじーさんの視点でも読めることを示唆するためにこの場面を冒頭に挿入したのだという結論にたどり着きました。誰しも、小学生から中学生へと学年を移った際に自らの野望に関して思いを馳せることががあるのではないでしょうか。私には冒頭のじーさんは、中学生になりたての少年のように思えて仕方ありません。きっと私でも少年の時代ならばこのような行動を取ったことでしょう。

この本は私に祖父という存在の大切さと、誰にでも残る少年の心について教えてくれました。そして、私がこれからを生きていく上での視野を広げてくれました。私はこの本のことを一生忘れることはないでしょう。